――さて、いよいよラストナンバーの「祝日」まで来ました。
カネコ 「祝日」は半年くらい前にできた、私の中では「グレープフルーツ」に匹敵する曲で、「祝日」ができたことによって、「グレープフルーツ」が当時の気持ちで歌えなくなってしまったんです。他の曲たちはそのときの気持ちで歌えるんですけど、「グレープフルーツ」と「祝日」を同じ気持ちで歌うのは無理だと思っていて。今は「グレープフルーツ」のときの悔しさとか、絶望に落ちたときの気持ちを思い出せないことがあって、そうすると演奏中に自分が何をやっているか分からなくなっちゃう。バンドセットのときはメンバーの助けがあるから乗り切れるけど、弾き語りのときは自分と向き合い過ぎちゃって、今は歌えない。
――当時と今とでは、それくらいカネコさん自身が変わったんでしょうね。
カネコ そう。だからそれはいいことでもあるし、あのときのままじゃなくていいけど、ちゃんと気持ちを込めて歌えるようになるといいなって。だから、そうなるまでは弾き語りで歌うのはちょっとお休みしようと思っています。
――「祝日」は一度聴いただけで重要曲だと分かるけど、そこまで大きい曲なんだと驚きました。
カネコ だけど今、話しながら「グレープフルーツ」に対して、私がエモくなってきた感じがする。ちょっと向き合えた。
――こういうインタヴューの場が、そういうふうに多少なりとも役に立てたら嬉しいです。
カネコ 昨日までもインタヴューはしていたけど、こういう気持ちにはなれなかったから、私も嬉しい。
――「祝日」は、今のアヤノさんのすべてが詰まっている気がする。
カネコ なんだろう……〈毎日不安にならないようにしている〉とか、〈できないことも頑張って やってみようと思ってる〉って言っているんですけど、サビで〈若気の至りか どうでもいいことだ これからの話をしよう〉って歌っていると、本当に……頑張らなきゃ、って思う。みんなの期待とか評価を永遠に超えていきたい、負けたくない!って思っているんだけど……ライブの動員が増えたからって、甘えてはいけない時だなって。
――これからが勝負の時だと。
カネコ そう思っているんだけど、でも「祝日」を歌うと、私はそんなことよりも、根本的には音楽が好きで、歌うことが一番好きでやっているんだから、それだけでいいじゃないかっていう気持ちになる。
――精神安定剤ですね。
カネコ そうそう、ははは。
――カネコさんに初めてインタヴューしたときにも言ったけど、〈できないことも頑張って やってみようと思ってる〉と歌うときのカネコさんの声を聴いていると、胸がいっぱいになっちゃう。
カネコ 私も。ほんと、自分でもそうなりますね。最初はギターの弾き語りで曲を作るんですけど、自分が一番最初に泣けたらいいなと思っていて。「祝日」とか「グレープフルーツ」は、まさにそれ!って感じだったから。音楽がいつも答えを出してくれる。自分で書いた曲が自分を救ってくれることってあるんだなと。だから曲を作っていてよかったし、これからも作っていこうと思える。何がどうなっても、続けていくことは自由だし、やっていこうという気持ちになりますね。
――「祝日」は何よりも自分を鼓舞するアンセムなんですね。
カネコ そう、本気で好きならきっと大丈夫だし、その気持ちを忘れんなよ、って自分に言い聞かせている。
――恋愛の歌に聴こえるけれど、それだけじゃなくて、自分が大事にしているものに対して改めて忠誠を誓っているようにも聴こえる。
カネコ 「祝日」と「グレープフルーツ」、それから前のアルバム(『恋する惑星』、2015年)に入っていた「週明け」とか、そういう曲ってずっと変わらなくて、これからもずっとやっていくだろうなと思っている。
――「変わらない」というのは、その曲ができたときの気持ち?
カネコ 気持ちとか、歌ったときに自分を救ってくれる特別な力とか。
――「祝日」は、出だしで〈お腹が痛くなったら 手当てをしてあげる〉と言っているように、カネコさんにとっての特効薬みたいな曲なんだ。
カネコ 私、本当にすぐお腹が痛くなるんです。高校生くらいまで、お腹が痛くなると「お母さーん」って助けを呼ぶみたいな感じだったんですよ。するとお母さんが本当に手を当ててくれて、それが薬を飲むよりも一番効くんです。手の熱が一番効くっていうか。だから、自分も誰かにそうしてあげたいと思う。「手当て」っていうのはそういう意味だし。
――「手」を「当てる」ということ。確かに、その通りですね。
カネコ 人の体温が一番効くんですよ。
――この曲は情景が鮮やかに浮かんできます。〈あなたが振り返らなくても 姿が見えなくなるまで 気づかれないように見送る〉とか、〈幸せのためなら いくらでもずる賢くいようよ いつまで一人でいる気だよ〉って言いたくなる気持ちとか、ひしひしと伝わってくる。
カネコ そうそう、ほんとに。
――これが本当のラストシーンではないけれど、これからも人生は続いていくけれど、ひとつの物語がここで一旦終わりを迎える感があります。
カネコ そうなんですよ。このアルバムは絶対に「祝日」で終わらせたかった。それだけは、はっきりと決めていた。「ゆくえ」が生々しいと言ったけど、「祝日」も生々しいと私は思っていて、アルバム全体はバンドサウンドで作ったのに、ラストをこの曲で締めるのは潔いと思って、そうすることが、私がやっていることの一番の証明になるのかなと。最初は「祝日」をバンドで録音しようと思っていたんだけど、それくらい大切な伝えたいことがあるなら、弾き語りが一番強いから弾き語りで入れよう、と直前に決めたんです。
――それは本当に大正解。カネコさんの弾き語りには特別なオーラがあるから。この曲に「祝日」ってつけた理由は?
カネコ なんだろ、最後の〈祝日 どこに行きたいとか〉というところから、かな。
――「祝日」というタイトルをつけたとき、だるまの目が入った感じがしなかった?
カネコ ははは、そうですね。アルバムのタイトルはなかなか決まらなかったけど、「祝日」は最初から「祝日」って決めていたんです。
――日々の生活の中で、「祝日」をずっと待ち望む感覚があるでしょう。
カネコ ほんとにそう。でも毎日特別でいいし。
――カレンダーにマーキングして。
カネコ 毎日赤い丸つける、みたいな(笑)。それができたらいいですよね。例えば花を活ける日は赤い丸、で全然いいし。
――そういう自分だけの儀式を作ると、暮らし方が違ってきますよね。アルバムのタイトルも『祝祭』だし、今の自分をお祝いしたい、と。
カネコ したい! 本当は毎日を祝日にしたくて、なんでもない日にだって祝祭があっていい。自分の気持ち次第なんです。理由づけなんてどうだってよくて、どんな日だって祝って、祭りにしていいんだぞ、って思うから、このなんでもない歌のアルバムに『祝祭』って付けた。それがすごく気に入っています。
――まさにそういうアルバムになったと思います。
カネコ はい。本当に「これが今の私です」って誰にでも手渡せる。
――このアルバムを聴いた人は全員カネコさんに「おめでとうございます!」って言えるんじゃないかな。
カネコ ははは、言われたい~。
――インタヴューの最後に、ぼくからも「おめでとうございます」と言わせてください。
カネコ ありがとうございます(笑)! 最高だな。全曲話せて本当によかった!